開けきれない箱

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ペンチメントについて

 芸術の秋だからか、最近Twitterなどで「ペンチメント」という言葉をよく見る。ペンチメントとは元々は後悔という意味で、現在は芸術家が自分が書いた絵に納得せず、すでに描いた絵の上から新たに絵を描くことを示す言葉である。

 どんな絵が元々描いてあったのかは本人にしか分からないが、時間がたつにつれて絵が劣化し下の絵が見えてしまうことがある。そのとき、書いた本人にとっては過去の後悔(駄作など)を目の前に見せつけられる形になるのだ。

 

 このことを模してTwitterでは、自分にしか分からなかった過去の自分の恥ずかしい行動や後悔などをTweetしているようだ。

 このペンチメントをわざわざ公の場で行うのは意味が分からないが(後悔を再び味わえるのは本人だけであり、それを他人に見せつける行動は露出狂のそれとと違いが分からない)、過去の後悔(失敗)を振り返ることには意味があると思う。

 

 これは厳密にはペンチメントではないが、私個人も自分が書いた過去の文章(古いものだと一年ほど前)を見返すと、そのときは悪いと思わなかったものでも恥ずかしい文章と思えるものがある。

 有名な思考実験のテセウスの船にもあるように、私たちは数年の自分とは全く異なると考えることもが出来る。過去を振り返ることでその違いを知ることが出来る。その差を成長ととらえる人もいれば退化とらえる人もいると思うが、そのどちらも自分自身そのものであり、人生の過程でもある。

 では過去を振り返るのに必要なのは何かというと、それはアウトプットのデータである。生涯何も残さなかった、残されなかった人の存在は記憶の中にしかいなく、それはいずれ消えていく。私たちが歴史について調べる際に過去を振り返れるのは、文献や絵などが残っているからである。記憶の中の人の死は単なる数字でしか無く(死に方によっては数字にすら残らない)、その数字に意味を見いだすことは出来ない。

 

 少し脱線したが、ペンチメントについて少し考えてみた。ではでは