開けきれない箱

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言葉の意味を私たちはわかっていない。

最近よく考えることの一つに言語の問題がある。

簡単に言えば言葉の意味を僕たちは良く考えていないということだ。

文章を読む。

確かにこの文章をあなたは読んでいる。

しかし、どういう意味かあなたは本当にわかっているのだろうか。

意味といわれても、書いている通りの意味しかないと考える人が多いと思う。

それでは、この文章を読んでなにかしらのイメージを持っただろうか?

例えば、犬と言われれば、私たちは何かしらの犬をイメージできる。

それはゴールデンレトリバーかもしれないし、シェパードかもしれない、はたまたチワワかもしれない。

名前がわからない犬を思い浮かべる人もいる。

犬がわからない人もいるかもしれない。

物や生物の名称は基本的にある程度共通したイメージを私たちにもたらす。

では文章はどうだろうか?

本を読むときに、すべての文章をイメージに変換することは不可能である。

あなたは“説明する”という言葉をイメージできるだろうか?

ここで間違ってはいけないのは、黒板や教師など実際に説明している風景をイメージしたことで、“説明する”という言葉をイメージした気になってはいけないということだ。

私たちが思っているほど、私たちは言葉についてよく理解できていない。

なぜ、理解していなくても実際に人と話せるのかというと、共有しているからである。

例えば、”天気がいい”という言葉は、空が晴れているということを指すとみんながしっている。だから伝わるのだ。

逆に言うと”天気がググっている”という言葉は、何をさすのかわからない人が多いと思われる。(少なくとも私はわからない)

行動を示す言葉には、名称がついている。共通する具体例(具体的なイメージ)もついてくる。

犬にお手を教えるのと同じである。

では、概念はどうだろうか?

”命”という概念には、名称がついている。しかし共通する具体例はついてこない。

(共通しないイメージはついてくる)

ある人にとっては、命にろうそくのイメージを持っているかもしれない。

ある人にとっては、命に時計のイメージを持っているかもしれない。

ある人にとっては、命に銀河のイメージを持っているかもしれない。

少なくとも、誰もがこれって”命”と呼ぶものは存在しない。

それでは、私たちは”命”という概念について話すことはできないのだろうか?

これは知ってのとおり、話すことはできる。

文章を書くこともできる。

「命は尊い」という言葉も存在する。

なぜか

それは私たちが分からないを分からないままにしておけるからである。

”神”はいるか?

分からない。

”神”がいると証明できるか?

分からない。

”神”の存在について話すことができるか?

できる。

”神”の存在について文章を書くことができるか?

できる。

別にこれは”神”という概念に限ったことではない。

”教育”、”知らない大勢の人”、”夢”、”世界”

私たちは概念といわれるものについて深く考えずとも、コミュニケーションをとることができる。

説明するということを説明することは難しい。

しかし、何かを説明することはできる。と思っている。

本を読むとき、文章を分かっているか?と言われれば、分かっていると断言するのは難しい。

そもそも”分かる”という意味をよく分かっていないのだから。

っとまあ、最近気になったことを久しぶりに文章という形で書いてみた。

ではでは