開けきれない箱

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自己肯定感が低い人はいない

 "自己肯定感"というキーワードはよく聞く。胡散臭い自己啓発本群では、これを扱ってない方が珍しい。

 『選択の化学』に好きな挿絵がある。電車に座る老若男女が、それぞれ「この中では自分が一番賢い」と思っている絵だ。

 人は生まれながらにして高い自己肯定感を持っている。だが、世の中にはいわゆる"自己肯定感が低い人"と自称する、他称される人がいる。違いはなんだろうか。

 

 成長するにつれて、自分のことを客観視できるようになると、自分が生まれ持っている自己肯定感との差が分かるようになる。その時、人は2パターンに分かれる。

 パターン1。

 今はダメかもしれないけれど、これから出来るようになる。何故なら自分は出来る人間だから。

 パターン2。

 薄々気付いていたけれど、やっぱり自分は出来ない人間なんだ。

 どちらも、高い自己肯定感を前提としている。もし、前提となる自己肯定感が限りなく低い人がいたとしたら、言葉を話せるだけで、物を食べるだけで、働いているだけで、自分に満足できるだろう。

 付け加えておくと、パターン1とパターン2を行き来する場合もある。

 

 つまり、人は誰もが「自分は出来る」という高いハードルを持っていて、現実と理想のギャップに対し発生するのが"自己肯定感"という言葉だ。

 そこに高い低いはなく、対応の差があるだけである。

 パターン1の場合は物事に積極的になるが、自分が傷つく可能性も高い。

 反対に、パターン2の場合は消極的になるが、失敗は少ないだろう。

 

 自己保身や自己満足という観点において、または、そもそも選択可能かどうか、という点は分からないが、わざわざ"自己肯定感を高めよう"と呼びかける必要があるのか?と思う。

 高いと見える人は高いし、低いと見える人も高いのだ。

 もしかしたら、前提が低い人ほど高く見えるかもしれない。