開けきれない箱

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デカルト『方法序説』情報の"旅人"と"海賊"

数ヶ月前に読んだデカルト方法序説を思い出しながら、〈価値観〉という言葉について書いていく。

 

結論から言うと〈寛容な旅人〉という精神が理想的だと考える。

 

「他の世紀の人びとと交わるのは、旅をするのと同じだからだ。」

「けれでも旅にあまり多く時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。」

方法序説より引用

 

価値観は10代で培った偏見という科学者がいるが、大人と見做されるようになってからの知識のほとんどは、受動的と能動的という差はあるが、自分で選んでいる。

 

異邦人にならない旅人であるためには、自分の価値観を能動的に作る必要がある。

例えそれが、他人の考えであったとしても、自分が選んでいればそれでいいのだ。

TwitterなどのSNSを通して得られる情報や、ニュースアプリでレコメンドされた情報は受動的である。

逆に、自ら知りたいと思い手に取った書籍から得られる情報や検索サイトで得られた情報は能動的である。

 

自分の中に柱となる価値観がないと、他者の考えに流され、気付かぬうちに異邦人になってしまう。

例え柱がなくとも、意識的に情報を捉えることが出来れば、つまり、最初は批判的に眺め、他の情報と照らし合わせ、その上で自分の中に取り込むことができれば、少なくとも異邦人になることはない。

旅人に対し言うなれば"海賊"である。

 

ここで注意すべきなのは、他者の意見を否定すればいいという誤解をしないことである。

 

我々は他者の価値観を完全に理解することが出来ない。

生まれ、家庭環境、友好関係、など、知り得ないバックグラウンドがあるからである。

 

海賊は品定めをし金品を奪うが、無闇矢鱈に人は殺さない。自分の仲間にした方が得だからである。

つまり、価値観を人と捉えると、旅人であれ海賊であれ、寛容な心を持って自分の中に住まわせることが出来れば、より多くの見識を持つ人になれるのではないだろうか。

ここでも、多くの価値観を自分の中に住まわせた時、自分が家主であり続けることに注意しよう。

 

最初に戻るが、大量の情報の中で異邦人にならず迷わないためには〈寛容な旅人〉という精神が理想的だと私は考えている。