開けきれない箱

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アンドレジット『贋金つくり』と三島由紀夫『金閣寺』の対称性

 タイトルにある二作を読んで気づいたこと、なぜジットが『贋金つくり』を唯一ロマンと認めたか、という事について気づいたことをまとめる。

 二作の対称性とは、前者が三人称複視点でかかれ、後者が一人称単視点で書かれている事だ。

注:三人称複視点-一人の人物の動向を三人称でひたすら追っていくのではなく、複数人の動向を場面を切り替えながら描いていく。

 :一人称単視点-一人の人物による、一人称の描写のみ。

 

 『金閣寺』の特徴は、寺院や自然に関する厳密で煌びやかな描写だと思うが、主人公がどうしてこんなにも物の名称を知っているのか、という疑問が残る。

 新潮文庫の解説では、その違和感を読者に感じさせないことが、この小説の素晴らしい点であると書いてあった。しかし、私は読んでいる途中、ずっとその違和感があった。

 

 よほどの物知りか、小説家かしか行えない情景描写、この点を排除したのが『贋金つくり』だと思う。

 ジットは自身の作品を「レシ(物語)」「ソチ(茶番)」「ロマン(小説)」と分類した。

 

注:レシ-一人称語り手による単線的な筋の作品

    :ソチ-批判的・諧謔的な作品

    :ロマン-小説に属さないすべての要素を排除 した作品

↑ネットより

 

 小説に属さない要素の一つに、『金閣寺』を読んだときに感じた違和感があると思う。なぜなら、『贋金つくり』というのは、二つのメタ的手法が取られている。

 一つ目は、第二部の終わりから書かれる作者の存在。

 二つ目は、作中作である(「紋中紋」や「小説の小説」とも呼ばれる)。登場人物の一人、エドゥワールは小説家であり、彼が書いている小説のタイトルも「贋金つくり」である。作中では、彼の手記という形で登場する。

 

 つまり、『贋金つくり』という小説における全ての描写(作中作も含む)は、小説家という人物が書いた物であり、ならば、詩的な表現や物事についての豊富な知識が作品に出てくることの不思議は消え、『金閣寺』を読んだ時に感じる違和感を感じなくなる。ということを感じたので、まとめました。どうも。