開けきれない箱

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いつだって現実逃避したい

 最近、お金について考えることが多くなった。稼いだり、払ったりする、不思議な数字のことだ。自分は誰からお金をもらって、誰にあげているのか、改めて考えてみるとよく分からない。

 精肉店が卸先の焼肉屋にご飯を食べに行くような、無意味な循環のような気がずっとしている。

 

 調べてみると、お金(お札のことは正確には銀行券と呼ぶらしい)は 独立行政法人国立印刷局というところの製品ということだ。そして日本銀行は 銀行券を発行する権能を与えられており、国立印刷局から新しい銀行券を受け取って、これを本店や地方の支店から世の中に払い出している、と書いてある。

 そして、日本銀行は銀行券の発行と引き換えに保有する有利子の資産(国債、貸出金等)から発生する利息収入より、利益を得ている。

 調べたことを書いてみたが、よく分からない。お札を発行できる金貸し屋、という最強の場所なのだろうか。

 

 話を元に戻そう。お金の話だ。お金を何に使っているかといえば、ほとんど全て現実逃避だ。ご飯も服も夜遊びも、全ては現実を忘れるためにある。では現実とはなんだろうか。それはどんな社会に属しているかによる。いわゆる社会人にとって現実とは仕事であり、それ以外の人にとっての現実とは生きることだ。

 

 社会人にとっては仕事(会社)こそが現実である。これは後天的に獲得した価値観だ。原始人はスーツを着ない。そしてその現実は本能を超える時がある。月曜日の線路だ。とても不思議だ。ここで、この場における本能の対義語を文化とすると、文化は本能を上回ることがあるということだ。日本では珍しくない。小さな飛行機のコックピットだ。

 

 ここで寝ることについて考えてみる。寝るのは本能だ。社会的ではない。文化的でもない。しかしそれは現実逃避としてうまく機能する。

 

 世の中のエンタメは全てお客様を現実逃避させるためにある。みんな生きていることを忘れたいのだ。生きるために必要な労働を忘れたいのだ。しかし、労働は生きるために必要ではない。そう思っているだけで、働かずに生活している人はいる。お金持ちの中にも、貧乏人の中にも、働かない人はいる。

 

 会社員は会社の売り上げの一部を給料としてもらう。会社の売り上げは、大衆から得ている。大衆はそれぞれ、別の会社の売り上げの一部を給料としてもらい、そのまた一部を、他の会社の売上の一部として渡している。

 

 お金はどこから来ているのか。お金は銀行からきている。私たちは銀行の製品を買っている。そのお金は誰が払っているのだろう。