日常のある一コマ。
「最近、どんな本を読んだの?」
「太宰治、芥川龍之介、あとはヘミングウェイかな。どれも短編だけどね。面白かったよ」
「昔の本ってあんま読まないから分かんないけど、面白いの?」
「面白いよ。今でも残っているってことは、それなりに厳選されているってことだから。最近出版されてた本のうち、50年後もちゃんと売られているのって、ほとんどないと思うし」
「でも、昔の本ってなんか面白いと思えないんだよね。だから、君みたいに普通に読んで面白いと思えるのってすごいと思うよ」
「そうかな。面白いとされているものを面白いと感じることが出来るのは、僕が多数派ということを示していると思うんだ。それは別に特異なことではないし、得意になることでもない。時代によって、”面白い”とされているものは違うから、一概にいえないと思うけどね」
「でも、そういうふうに考える事ができるのは、やっぱり凄いことなんじゃないのか?」
「この意見は、この前読んだ本のまるパクリだよ」
「そうなの?」
「いや、違うけど。そこにあんまり差はないってこと。今だって、僕がまるパクリと言わなきゃ、君は僕の意見で、僕が自分で考えたことだと思ったでしょ? つまり、何かに対して意見を言う時に、その人が考えたかどうかは重要じゃないんだよ」
「そうかなー?」
「そーゆーもんだよ」