東浩紀さんの「弱いつながり」を読んで考えたことを書こうと思う。
書かれていたことを僕なりに要約すると"現地へ行ってみないとわからないことがある"だ。
知らない土地について知る際、方法はデジタルとアナログという視点で大まかに二分することができる。
デジタル面の技術の発達により、その二つの境界線はどんどん曖昧になってきた。
つまり、デジタルがアナログに近づいてきているのである。
具体例でいくとGoogleMapやVRである。
現地に行かなくても、多くの情報をネットを通じて知ることができる。
もしかしたら、ある場所へ行く前の人の方が、その場所で暮らしている人よりお店に詳しいかもしれない。
実際に行かずとも、街並みや天気、交通など様々な情報がネットに公開されている。
多くの人の場合、ある土地について知る順番はデジタル→アナログではないだろうか。
ここからが本題である。
技術が発達する前、ロードマップはアナログのみで完結していた。
電車に乗るために使うのは時刻表と現金である。
デジタル先行のロードマップになり、なにが変わったのか?
僕は二つ減ってしまったものがあると考える。
一つ目は、"遊び"である。
デジタルが先行しているため、アナログのみと比べると"予定通り"というのが格段に増えた。
使用する交通手段、出会う友人、行くお店、泊まる宿、
これらを事前に知り、決めることが可能である。
本来行くはずがなかったお店、街や人、
つまり、予定外の物事というのが減ったのである。これが先に言った"遊び"である。
しかし、この"遊び"にこそ"面白い"があるのではないだろうか?
二つ目は"オリジナル性"である。
"遊び“とも考え方が似ているが、ネットに書かれている情報の多くはうまく行く方法である。
誰も失敗する方法なんて知りたくないのだから当然だ。
例えば、外国での旅を記事としている人たちの多くは、下調べや荷物の準備、それまでの経験などにより、私たちより綺麗に旅をするだろう。
しかし、彼ら彼女らが起こさないようなミスを私たちは起こす。
また、失敗したらほとんどの場合死ぬことを失敗したときの対処法を書ける人は僅かである。
つまり、失敗したときの正しい情報が素早く手に入る場合はそこまで多くないということだ。
私たちに必要なのは、アナログでトラブルに対処する能力ではないだろうか?
ミスをすることで"オリジナル性"が生まれる。それは綺麗な旅とは違うが、よりいい思い出になるかもしれない。
っとまあ、デジタル先行のロードマップによって変わってしまったことを書いてみた。
ではでは