ふと思ったことだが、この人は自分よりも頭がいいと感じることがたまにある。
私がこれまで思った人物は、作家の森博嗣さん、同じく作家の西尾維新さん、音楽家の野田洋次郎さん、、、
おそらく探せばほかにもいると思うが、ぱっと思いつくのはこれくらいだ。
これは自己評価が高すぎるのが原因かもしれないが、身近にいるひとでそのように感じたことはあんまりない。
そこまで他人に詳しくないことや、自分とあまり変わらないくらいでは気づかないことも原因と考えられる。
話は変わるが、森博嗣さんは真賀田四季という天才を創造したが、天才を創造することは天才にしかできないわけではないというような内容が森博嗣が書いた本にあった。
天才とはクロックとグレインサイズであると書いたが、小説内で天才を想像するとき、クロックの問題は無いに等しい。
何故なら時間をかけて書けばいいだけだからだ。
グレインサイズも時間が解決すると考えている。
何故なら考える能力とはクロックとグレインサイズの掛け算のようなものだからだ。
←シンプルな掛け算でも要素はそれだけじゃ無いと思う人もいると思う
つまり、書く人のグレインサイズによって天才を描くために必要な時間は変わるだろうが、クロックを上げていけば(時間をかければ)誰にだって天才を生み出せるということだ。
ではでは