開けきれない箱

暇人が様々な物事に関しての意見・考察を書きます。https://twitter.com/HKnumber

画一的なものの変革のその先を見据えなければならない

  現代の教育ではみんなが同じように考えたり行動するようになることを目的としている気がする。同じ内容を学び、集団としての行動を常に意識させられる。社会は画一的な労働力を得ようと必死なのだ。公務員が顕著な例であろう。

 資本論的にも同じことをし続ける人間がいることで効率よく世界が回っている側面もあるが、それは個人個人にとって幸せであるのかどうかについては、甚だ疑問である。

一人一人が自分だけのポジションを持つことが重要であると考える。

 働きありとなまけありの話にもあるようにサボる人は必要なのである。ここでいうサボるとは、働きありから見た視点であり、本人は自分がやりたいことに熱中為ている場合が多いと思われる。

 働きありとなるかなまけありとなるかは個人次第であるので、考えてみた方が良いだろう。ではでは

最低限は最大化を意味する(ミニマリスト)

   最近ミニマリストの話を聞く機会があったのだが、ミニマリストは物を減らすことではあるかもしれないが、物を小さくすることではないということだ。

   機能性を最大化することで(それが肥大化に繋がるときもある)持ち物を減らす考えだということだ。

   ソファーベッドやアイパッドでも言えることだろう。ではでは

開けきれない箱の由来

   このブログのタイトル"開けきれない箱"の由来はハチミツとクローバーという作品にある。一つの箱を開けると今まで見えなかった箱が見えてくる。開けても開けても増え続ける箱は気づくと自分の生涯をかけても開けきれないほどになっている。私たちには、箱を開け続ける事しかできない。

   その事をいつも意識するためにタイトルにしました。それだけです。ではでは

人類生命としての寿命(落合陽一の考え方を勝手に解釈)

 落合陽一さんは睡眠時間が短く、生命を燃やすように生きていることで有名だが、そこには『世代交代』という言葉が隠れてる。

スポーツ選手は選手生命が短いと言われているが、私たち人類としての生命は特に意識されていないことが問題である。確かに年齢を重ねても認知機能が20代並みのスーパーエイジャーなども確認されているが、人類生命としてのピークは10代から40代ほどであろう。

つまり、10代から40代の人達はその才能を発揮すべき消費物であり、世代交代が繰り返し行われていることが、人類にとって重要であるという考えだ。

今一度考えてるべき考えだろう。

ではでは

ドリルと人間の共通点、睡眠について、

   どうして、生物は眠るのか考えることがある。最近の結論は日中の炎症が限界に達したためというものだ。pcも熱くなり過ぎれば冷ます必要がある(サマーウォーズがわかりやすい例)その冷ましている時間が睡眠である。冷ましながら活動することはできないようだが、、、

   こう思ったのはドリルからだった。エネルギーを変換するためには必ずロスが生じる。つまり、稼働しているときは熱や音などのロスが発生するのだ。そして、熱くなりすぎると動かなくなる←今は違うかも   これと同じことが人間にも言えるのではないかと思ったのだ。

ではでは

脳死とpc

   今、脳死と臓器移植の本を読んでいる途中なのだが、脳死とソフトが壊れたpcと同じではないかと思った。つまり、ハードの部分、人間で言えば身体が残った状態である。ソフトが壊れたpcは別のソフトを入れるか、破棄するか、またはハードを別の用途で再利用する←これが臓器移植と似ている。 などではないだろうか?

   では、ソフトが壊れたpcはpcではないのか?

これは、脳死の人間は人間ではないのか?と共通した考えが元になって答えることができるのではないのか?

一度考えてみてほしい。ではでは

仮想現実についての考察

   最近YouTubeでこの世が仮想現実である証明の一部を紹介したものを見た。正直な感想を言えば面白い。納得できる部分も多かった。アインシュタインなどの学者も仮想現実なら納得できる現象を確認したらしい。まあ、紹介されていた実験の結果が本当かはわからないので、判断できることには限りがあったが、、、

   この世が仮想現実だと仮定してみよう。なぜ、仮想現実を生み出したのか←生み出した原因が必要性によるものか何らかによる思惑なのかはわからない   何らかの思惑によるものならそれは統計を取るためというのが私が最初に思いつく理由だ。条件を決めて数字として捉える。人が生まれたら出生数がプラス一され、死んだら死亡数がプラス一される。パラレルワールドというのも初期条件が違う仮想現実だと考えることができる。中学生でも習う対照実験が同時進行で行われると考えることができるだろう。

   原因が必要性だったらどうだろう。私が考えたのはダーウィンの進化論が星単位、または銀河単位で行われているということだ。星が生き残る、消滅しないため、の変化の中を私たちが生きているということだ。つまり、地球という星を安定化させるために私たちが存在しているのだ、、、と考えることができるということだ。

   なぜ私たちがいきているのかという疑問については前にもブログで書いたことがある。ニコニコをつくったとして有名なヒロユキさんは生物が生きているのはただの熱移動だと言っていたのを聞いたことがある。

   まあ、こういったことを考えてみたら面白いかもしれない。ではでは